デザインポリシー
DESIGN POLICY
会社概要
わたしたちは、ホームメーカーです。
HomeとHouseの違い
新日本ホームズでは展示住宅を、モデルハウスではなく「モデルホーム」と呼びます。「ハウス」は家屋のみを意味する言葉で、「ホーム」は家屋のみならず、そこで起こる情緒的な体験までを含む言葉です。
新日本ホームズは、家づくりは暮らし創りであり幸せづくりであると考えていますので、出発点は「モデルホーム」なのです。
理念
私たちは、真に良い家と心豊かな暮らしの提案により、関わる全ての人々を幸せにする企業になります。
Mission Statement
1.九州の町並みを美しく
Simple & Richの設計思考に基づいた『HOME』の建築を通して周辺の町並みに『美しさ』『愛着』という影響を与えていきます。
2.『心豊かな暮らし』の提言
住宅建築の真の目的は『そこから始まる生活(人生)を豊かなものにする事』であり、本当の満足感は暮らしの中にある体験から生まれます。
私たちは様々な提案を行い顧客の目的実現(幸福)のために貢献します。
ミッションを中核に据えた経営
当社はミッションステートメントに基づき、安全・安心・快適・高品質で美しい「Home」を「つくる」と共に オーナー様への
「Homes Life」の提案により 「ホームズとオーナーをつなぐ」、「オーナーとオーナーをつなぐ」、 暮らしの豊かさを創造する事業活動を
展開していきます。
商 号 | 新日本ホームズ株式会社 (SHIN NIPPON HOMES CORPORATION) 建設業者許可番号:福岡県知事許可(特29)第56724号 宅地建物取引業者免許証番号:福岡県知事(10)第8074号 一級建築士事務所登録番号:福岡県知事登録第1-20609号 社団法人 日本ツーバイフォー建築協会正会員 北九州住宅産業協議会会員 |
代表取締役社長 | 舟木 和博 |
株主構成 | 福岡商事株式会社(福岡銀行系列) |
主な営業内容 | 注文住宅の新築 ツーバイフォー工法(枠組工法)、 在来工法を中心とした木造住宅、 スチールハウス工法 木造建売住宅の建設販売 木造アパート・木造住宅併用店舗、診療所等の新築・増改築 宅地の開発販売 分譲マンションの企画建設販売 その他の不動産に関する業務 |
本 社 | 本社・北九州支店 〒807-0825 北九州市八幡西区折尾3丁目3番22 TEL. 093(695)2033 FAX. 093(695)2034 |
支 店 | 福岡支店 〒810-0074 福岡市中央区大手門2丁目3番13号 TEL. 092(724)0505 FAX. 092(724)0500 |
モデルホーム 所在地 |
ひびきのモデルホーム 〒807-0807 北九州市八幡西区本城学研台1丁目1-108 (ハウジングプラザ学研都市ひびきの内) TEL. 093(693)7111 マリナ通りモデルホーム 〒819-0015 福岡市西区愛宕4-21 (hit住宅展示場マリナ通り内) TEL. 092(881)5663 |
住まいの歴史
〜日本における住宅の背景〜
かつて日本の住宅に【デザイン】を持ち込んだ住宅メーカーがありました。
その名は、日本ホームズ株式会社。戦後のトンネルを抜け、高度成長の予兆が見え始めた頃、「日本に質の高い住宅を」という理想を掲げて1964年に設立されました。 その思想は、住まいを「ハウス」ではなく「ホーム」と捉えた「暮らし」重視の発想。
大いなる志は、日本になかった建築工法や住宅の機能、住まいのデザインという視点を導入し、日本に画期的な新しい住文化をもたらしました。
1945年~復興の時代
戦災消失戸数215万戸、疎開滅失戸数55万戸、住宅不足数420万戸。1945年8月、日本の戦後は深刻な住宅難で幕を明け、数年間は食料不足、失業、インフレなど生活の破壊に脅かされながらも、この戦災復興を契機に日本の住宅水準を見直し住生活の改革に向けて創造的な試みが意欲的にされた時代です。
1950年~モダンリビング確立の時代
戦後直後の緊急復興期の住宅建設もようやく一段落すると、「狭いながらも楽しい我が家」の夢が急速に花開きました。生活の安定とともに持ち家志向が高まってくると、資金不足が問題となり、1950年政府は「住宅金融公庫法」をスタートさせました。 翌年には公営住宅設計指針となる公営住宅法が作成されます。1955年には深刻化してきた大都市の住宅難に対処するため「日本住宅公団」が創設され、「公営・公団・公庫」という日本の住宅政策の三本柱が出揃いました。公団住宅で採用されたダイニングキッチンはこれまでの日本住宅の間取りを一変させました。その後公団はリビング空間を確立し「公私室型」と呼ばれる新しい間取りを生み出し、日本のモダンリビングの先駆けとなりました。
1960年~住宅工業化の時代
高度成長経済の波に乗った住宅産業の大進出は、住宅設計の在り方にも大きな影響を及ぼしました。住宅生産は従来の手工業的職人生産から、規格化された部材による大量生産に代わり「工業化」「工場生産(プレハブ)化」が進められ、60年代後半から建売住宅が急速に増えていきました。
1965年に、プレハブ工法の一種と当時言われた2×4工法が、日本ホームズによって日本で初めて一般住宅に導入されました。
日本で初めて、日本人のための2×4工法を開発。
施工・行程や流通の合理化、住宅のデザイン性…。
「質の高い住宅」をめざした日本ホームズは、1960年代初頭の住宅業界が直面していた課題を解決する方法論として、2×4工法に辿り着きます。
当時、日本人のために2×4住宅を供給するノウハウは皆無に等しく、アメリカに学びながら自分たちの手でつくりあげていく必要がありました。
日本の風土にあった日本仕様の2×4住宅を完成させるために試行錯誤が繰り返され、遂に1965年5月、東京都港区芝にオープンしたモデルホーム「プリンスハウス」に結実します。モデルホームは、外観だけではなく、セントラルヒーティング、全館給湯、オリジナルシステムキッチン、ウォークインクローゼットなど、住宅機能の面でも大きな反響を呼びました。
それは、日本の新たな住まいづくりのスタートでした。

ひとつの理想から、多彩なオリジナルが生まれました。
2×4工法をもとに、日本の住宅の可能性を高める日本ホームズの挑戦は続きます。プリンスハウスは、各地に建築され街並みを大きく変えていきますが、併行してさまざまなニーズに対応した2×4住宅を生みだしました。フランク・ロイド・ライトの建築様式に学び、深い庇や水平ラインを強調した外観の「グランドシリーズ・コンチネンタル」は、都市型住宅の新しい設計手法に対し「ゆとりとひろがり」を徹底的に意識して開発されました。その後も日本人の住まいと未来を見据え、ナチュラルデザイン、ベース、ブロッサム等の様々な住宅を提案していきます。
グランドコンチネンタル ▶︎

発想力、デザイン力、技術力を継承して、新日本ホームズ株式会社設立
日本初の2×4工法の導入から20年を経た1985年、日本ホームズは東京・世田谷の住宅展示場に、現代日本人のための邸宅として二子玉川モデルホームを発表。”憧れだけの欧米風” ではなく “懐古趣味だけの和風”でもない住空間は世代を超えた共感をいただき、これからの日本住宅のひとつの流れを示しました。この日本ホームズの発想力、デザイン力、技術力を継承して、1983年新日本ホームズを設立いたしました。

1964(昭和39)年8月 | 日本ホームズ株式会社設立。(平成21年3月末閉鎖) 新日本製鐵(株)と竹中工務店の共同出資により設立。 日本で初めて一般木造住宅に2×4(ツーバイフォー)工法を導入 |
1976(昭和51)年10月 | 同 九州支店開設。 |
1983(昭和58)年1月 | 新日本ホームズ設立。 |
1987(昭和62)年4月 | 福岡市に福岡営業所開設 香椎モデルホームオープン。 |
1993(平成5)年5月 | 福岡営業所を支店に昇格。博多駅前に事務所移転。 |
1993(平成5)年8月 | 北九州市八幡東区に、東田モデルホームオープン。 |
1995(平成7)年5月 | 福岡支店を東区香椎へ移転。 |
1996(平成8)年10月 | 青山モデルホームオープン。 |
1997(平成9)年4月 | 福岡支店福岡南営業所開設。 同福岡南モデルホームオープン。 |
2000(平成12)年12月 | 現住所へ本社移転。 |
2004(平成16)年6月 | 香椎浜モデルホームオープン。 大野城モデルホームオープン。 |
2006(平成18)年10月 | 青山モデルホームオープン。 |
2011(平成23)年8月 | 福岡支店を現住所へ移転。 |
2011(平成23)年10月 | ひびきのモデルホームオープン。 |
2013(平成25)年2月 | マリナ通りモデルホームオープン 。 |
2017(平成29)年11月 | スノーピーク社とアーバンアウトドア部門で提携。 |
2018(平成30)年1月 | 福岡支店内に九州初のSISとしてファロ大濠をオープン。 |